2024/07/10

いちご新聞8月号|いちごの王さまからのメッセージ

「みんななかよく」が、平和への道だと王さまは信じています。

今年も暑い夏がやってきました。いちごメイトのみなさん、暑さに負けないで、毎日頑張っていますか?

 

 王さまにとって、夏という季節は、決して忘れられないあの日の記憶に直結しています。そう、王さまが毎年8月号のメッセージに書いている、第二次世界大戦で空襲を受けた1945年7月6日の夜から7日にかけてのことです。
 すでに終戦から79年という月日が流れ、当時子どもだった人たちも年を重ねて、現在90代の人が戦争体験を語ることが出来る最後の世代と言われています。そのせいか、ここ数年、王さまにも戦争体験の取材が多くなってきました。王さまは、このあまりにも悲しくてつらい記憶をずっと自分の胸に潜めて生きてきましたが、体験者として「戦争は二度と起こしてはならない」ということをいちごメイトのみなさんには伝えておかなくてはと思い、数年前からこの8月号のいちごの王さまからのメッセージに戦争体験を書くようになりました。
 毎年読んでくれて、平和について考えるいちごメイトが増えてきたように感じています。

 

 当時、王さまは18歳で群馬県の桐生高等工業学校(現在の群馬大学)の1年生で、その日は山梨県甲府市の実家に帰省していました。近所の友だちに会いに行き、家に戻って夕食を終えて、夜10時を過ぎた頃でした。東側の窓一面が真っ赤に染まり、恐ろしい爆音が響き渡りました。空を見ると、爆撃機ボーイング29型機(B29)が焼夷弾をどんどん落とし始めていました。
焼夷弾というのはB29から落とされる大きな球が空中でいくつもの火のついた玉に分かれて落ちてきて、木造住宅や衣服に火をつけて燃え上がらせ火事を起こすのです。王さまはあちこちで燃え上がる炎で熱い中、妹を負ぶり、降ってくる火の粉を避けながら走り続けました。途中でどうしても熱さに耐えられなくなるとドブ川と呼んでいた汚水が流れる臭い川に入りましたが、たくさんの人が入っていて、その水もすでに熱くなっていました。
 途中ですぐ近くにいた人に焼夷弾が当たって、そのまま倒れて死んでしまったり、貯水槽に覆いかぶさって焼け死んでいる女の人を見ました。誰かがその女の人を抱き起こしたら、中に赤ちゃんがいて、お母さんが火から守ろうとしたその赤ちゃんもすでに息絶えていました。
 この空襲で甲府の町の70%以上が燃えて、1127人が犠牲になりました。甲府の中心地にあった王さまの家も焼けてなくなりました。
 その約1か月後の8月15日、日本は降伏して終戦となりました。

 

 王さまは空襲にあった日からずっと、「どうして誰も何も悪いことをしていないのに、こんなに爆弾を落とされて殺されなければならないのか?」と考え続けていました。誰に聞いても「戦争だから仕方がない」と言うばかりでした。

 

 でも、王さまは実際に体験したからこそ、こう言います。「戦争は絶対にいけない。人が人を殺すのが戦争です。世界中の国の主導者は、戦争を起こさない解決方法を考えられる人たちでなくてはならない。」

 

 戦争とはつまり、武力での戦いです。漢字の通り、「戦うこと、争うことであり、殺し合い」なのです。
 国家間、民族間ではお互いの考えが違うことがあるのは仕方ないことです。それは話し合いで解決することが本当は正しい方法です。でも、話し合いでは解決できない時に、どちらかが自分の考えを通すために武力を使うと戦争が起こってしまうのです。
 そうならないためにはどうすればいいか?
1番いいのは、最初から「戦わない、争わない」ことではないかと王さまは考えます。
 そんなこと出来ないって思いますか?王さまは、普段から仲良く信頼関係を築いていれば、出来ると信じています。
「なかよく」は「争い」より、ずっとずっと強くて揺るがないものです。「争い」は破滅に向かうけれど、「なかよく」は世界中を笑顔で結び付ける力を持っています。
 だから、王さまはこれからもずっとずっと「みんななかよく」と言い続けていきます。

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